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アルゼンチンサッカーの先駆者 | 代表・森山潤インタビュー
森山潤 / Moriyama Jyun
(株)無双ARGENTINA C.F.代表取締役 / アルゼンチン公認監督ライセンス所持 / 2017年、アルゼンチン1部クラブのトップ&サテライトコーチに従事。 <国分寺市出身、東大和市在住>
**1994-1995 アルゼンチンロサリオ州リーグ レナト・セサリーニ (アルゼンチン18-19)所属
**2011 C.A.インディペンディエンテ(アルゼンチン1部) U17コーチ / 監督ライセンス取得
**2014-2016 C.A.セイスラージョスTOKYO(日本) U18 監督
**2017 アルセナルFC (アルゼンチン1部) トップチームアシスタントコーチ
**2017 アルヘンティノスジュニアーズ(アルゼンチン1部) リザーブチームU23アシスタントコーチ
**2019 C.A.サンロレンソ アジア担当スカウト
サッカー部が無い中学で

―― 中学時代は野球部だったとか。
森山 私の中学にサッカー部が無くて。部を作ろうと署名集めまでしたのですがダメで、やむなく野球部に。高校はサッカー部のあるところにしました(笑)
―― 海外に目が向いたきっかけは?
森山 高校の時、ボビーチャールトンのサッカーキャンプに参加しました。そこで海外でのプレーに誘われたんです。
ネットも無い時代に南米へ
―― まだ海外挑戦がほぼ居ない当時、インターネットもなく高卒年代で南米に挑戦というのはかなり異例です。ご両親は相当心配したと思うのですが。
森山 元々、ガーナに行く話があり、反対されました。その後、アルゼンチンにしたら「それならいいか」って感じでした。
―― ご両親は騙されていませんか(笑)
森山 サッカーやるなら海外!マラドーナのアルゼンチン!って思いで前しか見てなかったんで(笑)
―― 現地ではどんな選手生活でしたか?
森山 1994年にレナト・セサリーニというプロ志望の18~19歳が集うチームに入りました。サッカー漬けで充実していました。中でも94アメリカワールド杯の時に、出場国・サウジアラビアの練習相手としてアメリカに行けたのは素晴らしい体験でした。
ただやはり競争は厳しく1年でクビになってしまいました。
世界基準の指導を日本で
―― 日本に戻り企業で働かれていますが選手志望ではなかったのですか?
森山 すぐに指導者路線に切り替えました。ナイキ等で6年サラリーマン生活をしてお金を貯め、2001年にレナトサッカースクールを立ち上げました。
―― アルゼンチン式指導ですか?
私の居たレナトと提携はしましたが、こだわってはいません。ただ指導者は全て外国人です。“実戦を想定する”海外サッカーの指導を提供したかったんです。
アルゼンチンの伝手は留学生を送り出す時に活かしましたね。私自身もアルゼンチンと行き来して現地指導経験を積み、日本人で初めてプロ1部クラブのコーチを務めることができ、現地1部で監督もできるライセンスを取得することができました。
アルゼンチンで”日本”資本のチーム

―― 2019年に無双アルヘンティーナFCを設立し、アルゼンチンリーグに参戦されました。
森山 日本資本のチームでプロリーグ昇格を目指しています。首都ブエノスアイレスの土地も購入しました。現在3部昇格戦ですのでプロ一歩手前です。
―― 日本資本の良さはなんですか?
森山 ビザ・通訳・語学など海外挑戦の障壁となる課題に日本人むけの環境を常に用意できます。選手が挑戦しやすく、保護者の方も安心できます。日本サッカー協会とも連携していますので日本人の南米挑戦の拠点として定着させつつ、将来は代表チームの南米遠征の拠点にもしたいですね。
海外直結の地域チーム
―― ゴスホークはどう運営されますか?
森山 アマチュア最高峰JFLを目標にここで腕を上げプロを目指す選手を応援する『育成クラブ』とします。
将来は他スポーツや地域団体と連携し、総合スポーツクラブを目指します。やりたい時に存分にスポーツができる、そんなコミュニティにしていきたいです。


―― 無双A.ゴスホークから無双アルヘンティーナCFへ、という海外挑戦もありそうですか。
森山 理想的ですね。逆にゴスホークにアルゼンチン選手を招くこともしたい。サッカーだけでなく日本とアルゼンチンの交流の拠点となれれば最高です。
